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2011/10/17 (Mon) 12:25
2011/10/16(日)18:00
からっかぜアトリエ
作:井上ひさし 演出:布施佑一郎
なんだか最近、井上作品ばかり見ている私。
しかし、この作品は今夏にシアター・アーツで上演されたのを観劇したのをきっかけに、
在米日系人の強制収容という負の歴史について知ることとなった。
そして、時を同じくして、NHK特集で放映されたノーマン・ミネタ氏の生い立ちから、9.11以降のアラブ・イスラム人への差別問題まで、すべて歴史はつながっているのだと知る。
そして、今回、再度この作品をみたいと思い、浜松まで観劇しにいった。
正直、まだセリフも腹に落ちきっていない様子で、最後のラストシーンを演じるのは、少々物足りなさを感じた。
ところどころ、セリフが出てこない空白の間が、とてもハラハラもした。
井上作品は役者泣かせな脚本とも言われるが、やはり骨身にセリフが染みていないと、なかなか口に馴染んで出てくることは容易ではないのだろう。
そして、生き様、人生の軌跡など、等身大の「味」を漂わすことは、若手には至難の業。
そういう意味では、アーツと比べて、女優人の年齢が年輩の人も多かったことから、人生をたどってきた「味」が出ていたようにも思える。
なぜならば、この作品の登場人物一人ひとりが、人生背負ってきたアイデンティティやナショナリズムといったものを超えて、一人間が通ってきた人としての生き様が、「マンザナ、マンザナ、マンザナ」という言葉に集約されていなければならない。
2週間後、そして来月の公演では、その輝かしい瞳で全員がマンザナわが町を演じきってくれることを期待したい。
テーマ : 観劇・劇評 - ジャンル : 学問・文化・芸術
2011/10/17 (Mon) 12:25
2011/10/9(日)18:30〜
サザンシアター
作:井上ひさし 演出:段田安則
一言でいえば、演出が惜しかった。
まあ、井上作品そのものの素晴らしさと役者の器量に任せていた作品といっても過言ではない。
その証拠にアンサンブルが崩れてしまい、正直、渡辺えりの独壇場になってしまっていた。
啄木が稲垣吾郎で、金田一が鈴木浩介。
この二人の掛け合いも鈴木浩介がうまく引っ張るも、やはりアンサンブルという面でいえば、何か欠けている。
稲垣吾郎の台詞回しはきれいに聞こえてはくるものの、やはり庶民の泥臭い啄木イメージとはかけ離れている。
その泥臭さは渡辺えりが母親として卓越した演技を見せるものの、芝居のあざとさや、奇をてらう演技がどうも鼻につく。
だから、全体としてのぺ〜っとした感じのまま、個々の役者が突出したまま幕が下りた気がしてならない。
この作品を見て感じたことは、脚本がいくら素晴らしくとも、役者個々がいくら名優でも、芝居のアンサンブルが調和していなければ、印象には残らないということ。
しかし、あの井上さんらしい「人って、死ぬとわかれば、優しくなれるのに。」って言葉そのものだけが、印象に残った。
テーマ : 観劇・劇評 - ジャンル : 学問・文化・芸術
2011/10/11 (Tue) 07:36
2011/10/9(日)13:00〜
シアターグリーン
作:アーサー・ミラー
脚本・演出:原田一樹
舞台装置は天井に大きな木製の十字架らしきものがかかっている。
床は古い木造の板場で、開帳場。
上手奥に象徴的な大きな階段。
下手奥は一段高い平場スペース。
場面ごとにキッチンラックや書記台などの小道具が登場する。
この作品のテーマというのは、ウィキを読めばわかるように、マッカーシズムや赤狩りを批判したもの。
一人の少女が発端で世間の風評、そして権力者たちまでもが翻弄されてしまう話。
そこには集団心理を操作するなど、いろいろ原因が存在するのだろうが、
結局のところ、ウソをつくはずがない・罪を犯すはずないという少女たちへの思い込みが原因なのである。
現在のこの日本の法廷が色眼鏡で裁判をするはずがないと信じたいが、
少なからずとも、この作品に共通する汚職が存在する。
検察による証拠捏造や、誰かを凶悪者に仕立てあげ、国民感情をそこにぶつけるやり方など。
あげたらキリがない。
そうした意味において、何故いまこの「るつぼ」を上演したのか?という問いも、納得がいく。
私たちはマスコミという色眼鏡を被せられ、物事の判断基準がそれによって決定されるといっても過言ではない。
いい例が原発問題だ。
3.11以前のマスコミのほとんどは、原発推進のものだった。
が、それがあの事故から一転。
原発擁護派の芸能人らはこぞって謝罪をし、中には表には出てこなくなった人までいる。
そうしたことから、私たちの判断基準は何なのか、この作品でも深く考えさせられる。
その問いかけは、最後の「神は死んだ」というセリフに集約されているようにも思える。
また、それと同時に一人の男の生き様が強烈なほどに、妻への愛情に満ちている。
ラストシーンの妻エリザベスとのやり取りは、「生きる」ことへの執念をみせ、しかし「正義」を貫く選択を最終的に決断する様は、どちらの選択が正しいとか、そういう次元のものではない。
正義とは何か。
「正直者はバカを見る。」という世の中なのか。
そこに正義なる神は存在しないものなのか。
人間社会の闇の部分、そして正義をつらぬく生き様・・・。
どちらも今の社会に鋭く訴えかける内容だ。
テーマ : 観劇・劇評 - ジャンル : 学問・文化・芸術
2011/09/09 (Fri) 11:36
2011/9/8(木)18:30〜
中京大学文化市民会館 プルニエホール
脚本/水谷龍二 演出/鵜山 仁
以前、私の知人からぜひ上演してほしい小説があるといわれた。
それがこの浅田次郎原作の「天切り松 闇がたり」。
恥ずかしながら、まだ原作は読んだことがなかったが、今回名演の例会で上演されると聞いて、馳せ参じた。
話は大正時代、「義理と人情」を貫いた安吉一家の義賊たちの活躍ぶりとその周りの人間模様を描いたものだ。
どこか現代人の中に忘れている「義理と人情」。
今までの史実や歌舞伎にもなっている、石川五右衛門や鼠小僧次郎吉など、反権力の具現者とされているものもある。
この物語も少なからずとも、そうした精神を継いだものである。
中でも印象に残っているのは、軍人未亡人親子の幕。
まつ蔵が「人が死ぬと、なぜ景気がよくなるんだ?」というくだりは、軍需産業で恩恵をうけて経済成長をとげてきたこの日本社会の矛盾をついている。
世間は豊かになりたい。
その一方で泣いている人がいるということを考えさせられる。
また、戦争のおろかさを未亡人に切々と説くくだりは、心打たれた。
つまらない名誉や勲章なんかに命を落とさせるのではなく、生きることを教えてやれ。といったようないいセリフが散りばめられていた。
ただ、期待していた左とん平さんの演技が物足りなかった。
存在感や貫禄はあるのだけど、やはりミュージカルという形態をとる以上、奏楽との声量バランスが悪い。
ミュージカルだからマイクを仕込んではいるものの、セリフの響きが弱い。
何をしゃべっているのかわからない。
奏楽に消されている以上に、「歳をとったなぁ」という印象が・・・。
ちょうど「寺内貫太郎一家」のDVDを見ていたところだったので、あの往年の覇気が見られなかったのが残念だった。
テーマ : 観劇・劇評 - ジャンル : 学問・文化・芸術
2011/08/11 (Thu) 10:06
2011/7/23(土)14:00〜
構成・演出:伊藤敬 脚本:福村芳博
コロス(農民や民衆)をうまく使い、ゴッホを描いていた。
冒頭のシーンで、話の導入部として、ゴッホの作品が好きな人なら、すぐわかる数々の農民の絵を、コロスたちがサス灯りの中で再現する。
どうしてゴッホの農民を描こうとしていたのか、何故ひまわりに固執していたのか。
彼が残した数々の絵画を通して、このゴッホ自身の人生を描いていく作品だった。
私もゴッホの絵は美術館に見に行ったことがあり、ゴッホには欠かせないミレーの作品と対比した展示会が催されたことがあった。
彼の理想とする世界観は、宗教という精神を超越したものがある。
牧師になり損ねたというコンプレックスもあるのかもしれない。
当時にしてみれば、それは「堕落」した存在と見なされていた。
だから、村八分にされ、きちがい扱いをされたゴッホ。
その生涯は、きわめて偏執で孤独なものだったに違いない。
と同時に、弟に依存するあまりに精神をこわして、破滅の道をたどってしまった。
もし、彼が生きている間に絵が売れていたら、どうしていただろうか。
ゴーギャンと決別していただろうか。
何故、彼の死後にこれだけ人々が彼の絵に魅了されているのか。
明確なことはわからない。
が、彼の生き様そのものが、絵となって、人の心をうつのだと思う。
演劇人は何を残せるだろうか。
無形文化だからこそ、リアルタイムに人の心をうち、人の記憶にいつまでも残る芝居を期待したいし、創っていきたい。
テーマ : 観劇・劇評 - ジャンル : 学問・文化・芸術
2011/06/27 (Mon) 17:12
2011/6/24(金)19:00〜
theater MOON
作:
つかこうへい 演出:多田木亮佑
つかこうへいの代表作。
根岸季衣や小西真奈美などを世に出した作品。
この作品をどのようにして少年ボーイズならではの演出するのか興味あったので、見に行った。
パンフに「看板女優である安藤絵美が踊ります!脱ぎます!開きます!心も体も!」と書いてあった。
ほんとに脱いだかどうかは横においといて(笑)
まず感想。
良くも悪くも、きれいにまとまってた。
もし、つかさんだったらもっとドロ臭い演出をしていただろう。
もっと荒削りの人間臭さを出してたのだろうと、想像する。
それこそおっぱいの一つや二つ出したり、乳をつかませたり、それくらいの演出をしたのではないかと。
(私はつか演出のを観たことがないので、実際にそうしているかどうかはわからない。
が、あるVTRで小西真奈美がスカート姿で大股を開いて独白しているシーンを見たことがある。)
安藤絵美さんは容姿端麗でとても魅力的な女優さんだ。
しかし、彼女の声質だろうが、声の響きがどうしても幼く聞こえてしまう。
もう少しいろんな声の響きが使い分けられるようになると、この役に対してもずいぶん違った
ストリッパーの味が出ていたのでは。
酸いも甘い経験してきた、いわゆる底辺の女、そしてそれにぶら下がるヒモ。
そういうドロ臭いものがお客の共感を得ると思うのだが、そこまでには至ってない気がした。
名古屋の女優で、本当にココロもカラダも脱げるだけの器量のある人がどれだけいるだろう。
ふとそんなことを思った舞台だった。
テーマ : 観劇・劇評 - ジャンル : 学問・文化・芸術
タグ : ストリッパー つかこうへい
2011/06/27 (Mon) 07:40
2011/6/25(土)14:00〜
千種文化小劇場
作・演出/宮谷達也
はじめてこの劇団の公演を観劇。
普段あまり自分から好き好んで若い劇団をみることがめっきり減った今日この頃。
そんな中、友人の誘いもあり、一緒に観劇。
どうやら名古屋では最近注目されている劇団のよう。
感想としては、演出や効果などはとてもしっかりしていて、役者の演技も破綻なくやられている。
しかし、印象としては何が伝えたかったのかモヤモヤしたまま劇場をあとにした。
「クスリ」というものがこの芝居のキーになっていて、親子や学校、そして行きずりの相手、バイト先の仲間、いろいろなところにこの「クスリ」が登場し、人を破綻させていくといったことなのだろう。
それと、ムー大陸が一夜にして消滅したという「消滅」というものをかぶせて、作者はスジを書いたのだと思う。
そこまではよかった。
よかったが、事の顛末が少々強引な結びつきを起し、最初に登場していた過去からきた男と、未来から来た女というのも、それっきり。
少々、消化不良気味に幕が下りてしまった。
私も年老いたのか、美意識が古くなってしまったのか、こうした若い人たちのエネルギッシュな舞台はそれはそれでいいところもあるのだが、手法を見せられたようにも思えて仕方がない。
どうせ手法をみせるなら、何か突出したもの・全く新しいものを魅せてほしい。
それよりか、舞台上という虚構に生きる人間そのものを見たい。
テーマ : 観劇・劇評 - ジャンル : 学問・文化・芸術
2011/06/27 (Mon) 07:21
5/21(土)18:00〜
名古屋コリアンスクール3階
労働者劇団つぶれそう一座の自主プレ企画としての公演。
今回は地元愛知のむかし話をもとに舞台化。
私たちが住む地域に昔から伝わる寓話などを、資料や文献などを調べて脚本にしたそうだ。
お芝居2本立ての合間に、大学の落語研究会の人が寄席を。
この寄席と口上とで「和」をさらにかもしているのだが、全部で2時間半以上にもなると、少々お尻が辛い。
口上とお芝居とで充分だったようにも思える。
月夜のキツネは、人間をだまくらかすキツネの話はよくある日本の昔ばなし。
なぜキツネはそういう人間を騙すという象徴になっているのだろう。
そんなことをふと疑問に思った。
そして、そういうキツネは時には人間に好意をもっている、まるで「ごんぎつね」のようなキツネも時として存在するということを、あらためてこの話でも感じた。
作品の感想としては、若干、間延びした感が否めなく、人間の有様を説明するくだりが長いので、キツネの影が薄いように感じた。
二本目の「てんぐの太鼓」は、作・演出として初挑戦の若手劇団員たちが手がけた作品。
太鼓をうまく叩きたいという熱い思いをもつ男、それを手助けするてんぐ。
「オペラ座の怪人」を彷彿させる。
最後にその祭りのお囃子を演奏し、実際に大太鼓を叩くシーンがあるのだが、精一杯太鼓を叩く主役の人の気迫ある姿が印象的だった。
『愛知のむかし話
月夜のキツネ』
<西春日井郡春日町>
脚本/演出…野崎佳史
(お芝居・新作)
『愛知のむかし話
てんぐの太鼓』
<名古屋市東区>
脚本…佐野美樹
演出…酒井美佳
(お芝居・新作)
テーマ : 観劇・劇評 - ジャンル : 学問・文化・芸術
2011/06/27 (Mon) 06:05
2011/6/4(土)18:30〜
愛知県芸術文化センター 小ホール
作/松田正隆 演出/土屋たかし
この作品をみるのは2回目。
1回目もこの劇団演集の舞台。
そう、今回6年ぶりの再演だった。
劇場やキャストが変っていることもあり、前回とずいぶんと印象が変っていた。
まず冒頭の老夫婦のくだりは、今回のほうがとてもいい雰囲気で演じられていた。
紙屋家の夫婦には、若干役者の年齢差を感じずにはいられなかったが、話が進むにつれその違和感もだんだん消えていった。
そして、紙屋悦子と明石と永与との3人の掛け合い。
これが6年前のほうが笑えたし、戦場に命をかけて戦いにいく若者の姿などは純粋に泣けた。
しかし、今回は悦子と明石と永与の3人の恋愛感情などが今一歩のところで創られていたため、とても軽い印象にとどまってしまった感がある。
この作品では、戦争というものに対する純粋な家族の思い、友人の思い、そして愛する人への思いがいろいろちりばめられている。
そうした面がもっと観客側に伝わってきてもいいように思えた。
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